第二十一回読書会メモ

課題本
竹本健治『匣の中の失楽』(講談社文庫他)

議題
1、キャラクターについて
2、ミステリ及び作品の構造について
3、奇書について

2、内容について
○奇数章・偶数章がそれぞれ現実とナイルズの小説に対応しているのではないか?→第六章が存在するのではないか?(松山俊太郎の解説と同意見)
○いずれの章も、似たような材料で構成されながらも、それぞれ異なる現象が生じている並行世界の出来事なのではないか?
○現実世界をもとにした二つの虚構世界が二重らせん構造を形成し、それをある一つの方向から時系列を眺めた後世になっているのではないか?
○二次創作と位置づけられた「匳の中の失楽」はどのように読むべきか?→これも虚構か?

多様な解釈が可能な構造が魅力的

3、奇書について
○他の奇書が未読だが、影響を受けたとされる『虚無への供物』を手に取ってみたくなった。
○『虚無への供物』を読むのは苦痛だったが、『匣の中の失楽』は楽しく読めた。
○三大奇書を基礎として奇書の要素(奇書性と感じるもの)を抽出することも可能ではないか?「ミステリに対する批評性」「幻想性」「難解さ」など。
○「(三大)奇書」という枠組みは、あくまで「三大奇書」を前提としており、それ以降はオマージュでではないか?→新たに奇書を名乗る(目される)作品群からは奇書であろうとすることに対しての自己満足感を強く感じる。
○現代において「(三大)奇書」という語は宣伝広告の意味合いが強くなっており、それが「(三大)奇書」以降の要素を考えるときに問題を複雑化しているように感じる。
○『匣の中の失楽』は解決編がしっかりとしており、アンチミステリ感が薄い。奇書と言われれば奇書という印象。

4、その他
○「あっは」のセリフがいい。→松山俊太郎の解説にもあるように埴谷雄高『死霊』にみられる表現。
○作品をペダントリーの知識を自分で入手していることに驚き。
○『匣の中の失楽』は、中井英夫『虚無への供物』の構造と、埴谷雄高『死霊』の文体とから影響を感じるが、文体の選択によって『虚無への供物』が有していた「殺人事件とは対照的な明るさ」、「ユーモア」「人工的な印象(人工的な幻想性)、等が後景へ退いている。この点から中井英夫と竹本健治の個性の違い(詩人か小説家か)を感じる。戦争への批評精神の有無もそこに帰結するのではないか。
○竹本健治は独自の五大奇書として『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『家畜人ヤプー』『死霊』『柾它希家の人々』を挙げているが、根本茂男『柾它希家の人々』にはどのような経緯で出会ったのか気になる。