何故ミステリを読むのか?

読書遍歴と嗜好

 私のミステリとの出会いは小学生の時、学級文庫に並んだ夢水清志郎シリーズの第一巻である『そして五人がいなくなる』(はやみねかおる)を手に取った瞬間だろう。

 それが切っ掛けになって青い鳥文庫を手に取るようになり、『パソコン通信探偵団事件ノート』(松原秀行)なども読むようになったのだが、そうして行き着いたのがタイトルの元となった『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティ)だった。

 クリスティの情報について当然何も知らなかった子供の私は、今ではトリックが有名になりすぎた『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』をまっさらな状態で触れることができたので稀有な体験だったように思う。

『ぼくは「名探偵」です。みんなが幸せになれるように事件を解決してみせますよ』
 という夢水清志郎の名探偵観、
『しばしば直感と呼ばれているものは、じっさいは論理的な推論もしくは経験にもとづいた印象なのです』
 という台詞に代表されるようなポアロの犯罪心理学は様々なミステリを読んだ今でも心の中で色褪せることはない。

 そして中学生、高校生へと年を重ねた私は図書館のジュブナイルの棚で『クビキリサイクル』(西尾維新)に出会い、メフィスト賞の繋がりで『すべてがFになる』(森博嗣)を読んだかと思えば、『理由』『火車』『レベル7』(宮部みゆき)新宿鮫シリーズ(大沢在昌)『容疑者Xの献身』(東野圭吾)などにも触れた。

 特筆すべき体験として、何故か教室の本棚に置いてあった教育上不適切なことこの上ない『セブン』(キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件の映画)の小説版に深刻なトラウマを刻まれたことを挙げておく。

 そして大学生になった私はいわゆるミス研に入り、『新本格』との出会いという読書のターニングポイントを迎え、『十角館の殺人』(綾辻行人)『月光ゲーム』(有栖川有栖)『翼ある闇』(麻耶雄嵩)、『ハサミ男』(殊能将之)『殺戮にいたる病』(我孫子武丸)etcなど挙げ始めればキリがない洗礼を受けた。

 一回生の間は週に十冊も重い荷物を持ち帰るなど当たり前だったが、苦痛ではなくむしろ楽しかった。

 ミス研に在籍している間は読書会、会誌のレビュー、新刊ランキング投票などミステリを読む機会に事欠くことがないのだが、その一方でどんどんミステリを読むことが“義務”になりがちである。そして会員はミス研を離れると解放されるようにSF、ホラーなど他ジャンルに傾倒していく。もちろん、表に出さないだけで実はこっそりミステリを読み続けている人が多いのだが。

 そんな私がミステリから離れられないのはもはやそんな読書生活が身体に染み付いているからかもしれないが、少なくともミステリ“ー”を読むことが多い。それは趣味の範囲での「研究」である。ミステリについて識るにはミステリ以外を学ぶことで本質を洗い出すことも必要であり、国内、海外などの読まず嫌いもしないことも絶対条件だ。

 そしてもう一つ拘るのは読書会である。私が思うに、ミステリというジャンルにおいて大半の読者は「なんとなく」ではなく、「この作品は面白い」という結論に至るまで様々な着眼点から多様なロジックを構築する。そのプロセスは千差万別で聞いていて飽きることはない。そういった他者の読書経験を得ることで作品の楽しみ方のレパートリーも広がっていく。

 そしてこの知的好奇心が絶えることがない限り、私はミステリを読み続けるだろう。

筆者:銀筆

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